2020年11月1日 朝礼拝『今の時代に降りかかる』大賀幸一牧師

イザヤ書44:6-8 マタイによる福音書23:25-36
  マタイによる福音書を読みましょう。イエス様は律法学者やファリサイ派の人々を痛烈に批判しました。外側だけを清めることばかり注意するのではなく、まず内側から清めることを大切にしなさいと教えています。律法学者やファリサイ派の人々は、神様に認められる者となるという課題に対して徹底的に自分を清めることを心掛けました。ところがこの方向性は結果的に大変な失敗でした。外見だけの形式的な清めしか実行することが出来ず、人間の内側も外側も、全体的に清めて神様に認められる存在になるということを実現できませんでした。では私たちはどうあるべきなのでしょうか。イエス様は、内側から清めることを教えますが、それは、貧しい者は幸いである、との教えに辿り着きます。貧しさとは、経済的貧しさではありません。心の貧しさのことです。自分自身が心の貧しさを持っている人間であることを隠すことも、恥じることない。自分たち自身の貧しさを知っている人々は、神様によって祝福され、神様によって満たされるようなると約束されているのです。イエス様は、律法学者やファリサイ派の人々に対して神様がお遣わしになった預言者たちを迎えるのでなく、神様の御言葉を聴こうとせず、預言者たちを迫害し、時には殺したことを強く非難しています。だから34節、イエス様はこれからも神様はあなたがたのために預言者、知者、学者を遣わされるとおっしゃっています。人間たちは神様がお遣わしになる預言者たちを迫害して回るだろう。それでも神様はあなたがたのために預言者たちを遣わされると示されています。それは何故か。神様が遣わされる方を通して、神様の御言葉を聴いて、従って行くためです。今の時代の人々は、神様に問われ、求められています。神様の遣わされる方を通して語られる神様の御言葉を聴くのか、聞かないのかと降りかかっているのです。私たちの信仰の人生は、神様に聞いて、神様と共に歩んで行く、それが私たちの道です。洗礼を受けて終わりではなく、神様と共に歩み続けることが大切です。