2021年11月21日 朝礼拝『今日、救いがこの家に』大賀幸一牧師

サムエル記 上 16:1-13 ルカによる福音書19:1-10

  ザアカイは、イエス様がどんな人か見ようとしました。しかし問題がありました。ザアカイは背が低かったのです。ただイエス様が見たいという願いは、人間たちの壁で阻まれてしまいます。ザアカイが、背の低さをどう考えていたのかは分かりませんが、徴税人として生きて行くことで、人々から妬まれ、憎まれ、時には汚れた罪人と陰口をたたかれることは辛いことだったでしょう。背が低いことで人々から蔑まれ、笑いの種にされることがあったのではないでしょうか。ザアカイは単純に、イエス様とはどんな人なのか見てみたいと言うだけでしたが、人間たちの悪意、妬みがザアカイの願いを阻んでいます。そんな時人々は、願いが適うことをあきらめてしまうでしょう。仕方ないと忘れようとするでしょう。でもザアカイはここで諦めませんでした。彼は先回りして、木に登り、イエス様を見ようとしたのです。そして、イエス様がザアカイを見つけてくれました。イエス様は、今日ぜひあなたのところに泊まりたい、と。それは、ザアカイの家に祝福をもたらしてくださいました。神様が、ザアカイを愛し、ザアカイと共にいるという意味です。ところが、再び人間たちの悪意と妬みがこれを妨げます。人々はつぶやきました。イエス様は罪人の家に泊まろうとしている、と非難したのです。それでも、イエス様はザアカイの家に泊まり、ザアカイたちを祝福してくださいました。イエス様を見ることは、イエス様に心を向けることでした。イエス様の御言葉に耳を向けることでした。そして神様に心を向けることでした。でもそれは人間たちによって妨げられます。ザアカイはあきらめずに、木に登り、イエス様を捜しました。ところがイエス様がザアカイを見つけてくれました。私たちも木に登りましょう。そしてイエス様を捜しましょう。イエス様が私たちを見つけて、私たちを祝福してくださいます。