2022年7月10日 朝礼拝『洗礼者ヨハネの首』大賀幸一牧師

エステル記4:10-17 マルコによる福音書6:14-29

  ヘロデは再び恐れおののくこととなります。イエス様が現れたからです。ヘロデは、イエス様を、洗礼者ヨハネの再来と考えていたようです。ヘロデ自身が自分の犯した罪を知って、おののいているからです。ヘロデの恐怖は、その罪はどうしたら取り去られるのでしょうか?私たち人間には心が、良心があります。ヘロデも良心の痛みを感じたでしょう。しかしヘロデは良心の痛みをごまかして生きて来ました。ところが洗礼者ヨハネを殺した時からヘロデの心、良心は深く傷ついたのです。ヘロデには、イエス様の噂が、どこまでも自分の過ちを責めて、追いかけて来る洗礼者ヨハネの姿に見えたのでしょう。人間に心を与えたのは誰でしょうか。人間に良心を与えたのは誰でしょうか。それこそが神様ではないでしょうか。私たちに心を与え、自由に思い、考えることを神様は与えてくださったのではないでしょうか。私たちに良心があるのは、私たち人間が神様に従い、平和に、誰も傷つけることなく、共に生きて行く者となるためではないでしょうか。人間の良心ほどあやふやでごまかし易いものはないですが、それでも人間に心があり、良心があるのは、どこかで今も私たち人間は神様とつながっているということの証拠ではないでしょうか。神様は私たちを断罪するためにそうするのではありません。私たちを赦し、私たちを癒すために、神様は私たちの心、良心、魂の遥か先で、私たちに御言葉をもって語り聞かせてくださっているのではないでしょうか。ヘロデもいつもどこかで神様を畏れていた。いつも神様の御声を聞いていた。本当は神様の御声に従うべきだと思っていたのです。神様は、すべての人間に向けていつも御声を響かせています。私たちが神様に慰められ、力を与えられて、歩み出すためです。神様の御声を聞きましょう。神様の御言葉を聴いて、私たちは生きて行きましょう。