2022年7月24日 朝礼拝『村に入ってはいけない』大賀幸一牧師

列王記上10:1-10 マルコによる福音書8:22-26

  ベトサイダをイエス様たちが訪ねた時、一人の盲人が連れて来られ、イエス様に触れていただきたいと願われました。どうして私たちの人生には病気があるのでしょうか。その理由の一つは、地上に生まれた人間が地上で永遠に生きることは出来ないからではないでしょうか。地上に生まれた人間が死なないということは異常なことであり、地上に生まれた人間は死を迎えることが自然なことなのです。しかし私たちの人生にとって病気は大きな苦しみです。ですからイエス様は、神様から遣わされて、私たちの人生の苦しみをやわらげ、癒しを与えてくださったのではないでしょうか。イエス様はやはり私たちの人生の慰めであり、恵みなのです。しかし、イエス様によって私たちの人生が慰められ、癒されても解決されなければならないのが、私たちの死の問題です。この大問題を解決することが出来るのは誰でしょうか?これを解決してくださるのは、神様以外におられないのです。地上の人生が終わっても、死はすべての終わりではないから、神様はイエス様を通して、私たちに死を越えた先にある未来、その命を教えてくださっているのです。それを理解するためには、神様への信仰がなければならないのです。そんな私たちの人生に、神様が遣わしてくださるイエス様による慰め、癒しがなければなりません。神様の愛と赦しがなければ、私たちの人生を進めることは出来ません。神様がいつも私たちに語りかけてくださる御言葉があるから、御言葉を聴いて、再び歩み出すことが出来る。それが私たちの人生ではないでしょうか。すべての人の人生を神様は愛し導いています。そのために真の平和と正義がこの世界に実現されることがなければなりません。そこで村に入らず家に帰る、という難問を私たちは満たすことが出来るのではないでしょうか。