2022年9月4日 朝礼拝『家を建てる物の捨てた石』大賀幸一牧師

イザヤ書5:1-7 マルコによる福音書12:1-12

  今日の旧約聖書、イザヤ書5章、そして今日の新約聖書、マルコ12章。大変よく共通するお話です。ある人と呼ばれる神様がぶどう園を造られます。すべてが整って、神様は人々、農夫たちにぶどう園を貸し与えました。さて収穫の時、神様はぶどう園の収穫を求めて、使者を遣わしますが、人間たちは一切収穫を渡そうとしません。暴力をふるい、殺人までが起こっています。人間たちは、自分たちが苦労して造ったのでないものを自分の所有にしたがります。自分たちの体、命、土地も水も世界も、これらすべては人間が造ったのではありません。最初からあったものです。誰が造ってくださったのかも人間は知らないのです。イエス様は、さてこのような不条理な世界を神様はどうなさるだろうか、と問うています。イエス様はそのような世界は破壊され、誰か別な人に与えられるだろう、とおっしゃっています。すべてを整えてくださった神様から人間はこの世界を奪いました。神様の関わりをすべて拒否してこの人間世界は成り立っています。すべてを自分のものにするためには、神の子キリストでさえも殺して、町の外、ゴルゴタに放り出すのです。この様な世界ですから、人間が生きる意味や価値など見つけられるはずがありません。神様は収穫の時だけにぶどう園に、人間たちに関わろうとしています。神様が求めるのは、ブドウの実ではなく、ぶどう園で生きる人間たちの喜びです。イエス様は、このぶどう園をどうするだろうか、と問われました。このぶどう園はまだそのままです。このぶどう園は、神様によって与えられたものです。私たちは神様と共に歩む中で、本当の喜びを知るでしょう。神様はどんなことがあっても私たちを愛し、赦してくださるではありませんか。神様は、イエス様を新たなる世界の柱となさいました。人間の世界が、この柱によって支えられ、建てられるためです。神様のなさることは不思議ですが、私たちを愛し、満たしてくくださいます。人間は神様に愛されて、その価値を知り、生きて行くべきです。