2022年11月13日 朝礼拝『私はいる、という者』大賀幸一牧師

出エジプト記3:1-15 ルカによる福音書20:27-40

神様とモーセの出会いで、大変面白いと思うことは、神様はあえて、モーセに道をそれさせる、ということです。もしもモーセが道をそれることをためらったなら、神様と出会うことはありませんでした。モーセが道をそれてやってくるから、神様と出会うことができたのです。モーセは神様に名前を呼ばれ、はい、と言っていますが、聖書協会共同訳では、御前におります、と答えています。また聖書協会共同訳では、神様がモーセにエジプトに行くように求められた時、モーセは、この私が本当にファラオのもとに行くのですか、といかにもエジプト行きが嫌であるかが描かれています。13節、モーセは、神様に求められたとおりにエジプトには行きます、長老たちに会って神様が私を使わされました、と言うつもりです、と言っています。多分聖書協会共同訳のモーセは、エジプトに行く気は全くありません。モーセと出会い、モーセをエジプトへ遣わそうとされる神様ですが、神様はその絶大なる力と栄光で人間を脅してエジプトへ向かわせようとはしていないのです。モーセと対話し、モーセを納得させて遣わしているのです。そして、私はあなたと共にいる、との約束です。決して力づくではなく、対話をもって、モーセに寄り添い、モーセの人格、人生を尊重しながら、神様はその深い愛情をもって語りかけて行かれます。これが神様の御業なのだと思わされます。神様は、私の名は主と示されました。そしてアブラハム、イサク、ヤコブの神であるとも示されました。それこそ神様は、アブラハム、イサク、ヤコブ、彼らの人生にも深く関わり続け、歩み続けたことを証明しています。私は、あなたと共にいる神。私はいる、という者。私はいる、という言葉が、私たちの人生にも深く関わり続け、私たちと共にいる、それが神様だと知ることができます。