2024年2月18日 朝礼拝『主を拝み ただ主に仕えよ』大賀幸一牧師

出エジプト記 17章3-7節 マタイによる福音書 4章1-11節

レント、受難節に入りました。今日はマタイによる福音書から神様の御言葉を聴きます。イエス様は悪魔から誘惑を受けられた、とあります。口語訳や聖書協会協同訳は、誘惑ではなく、試みを受けられた、と訳しています。出エジプト記17章には、人々がモーセと争い、神様を試みたお話が記されています。そして7節に、果たして主は我々の間におわれるのかどうか、と言って主を試した、と書かれています。つまり試みというのは、神様が本当に私たちの間に、私たちと共にいるのかどうかを試した、ということなのです。イエス様は、人はパンだけでなく、神様の口から出る御言葉を聴いて生きる、と教えられました。神様の御言葉は、私たち人間が生きるためにどのように必要なのでしょうか?パンや水の様に食べられるものではありませんが、イエス様はパンを食べてもまたあなたがたはお腹が空くだろう、あなたがたの命を本当に満たすことのできるものを得なければ、パンを求め続けても最後には死があるだけだと教えられました。神様と私たちとがしっかりとつながっていることが、私たちの命を確かなものとしてくれるのです。神様と人間との関係を結び合わせてくるために、私たちのイエス様は、真の命のパンとなってくださったのです。この命のパンを食べる者、つまり神様の御言葉を食べるものは、死ぬことがない。永遠の命を得るのです。イエス様は、あなたの神、主を試してはならない、と教えています。神様の愛を試すのではなく、信じることを教えてくださいます。イエス様は、試みる者の言葉に対して、そう書いているとおっしゃっています。それは聖書に、あなたがたの聖書にすでにそう書かれていることを教えてくださっているのです。神様の愛と御言葉は既に私たちの聖書に書かれているのです。御言葉を読んで信じるために、生きて行くために既に書かれているのです。主を礼拝し、ただ主なる神様を信じて、私たちの人生を歩んで行くことが、私たちの命にとって最も良い道です。