2023年3月17日 朝礼拝『光のあるうちに光を信じる』大賀幸一牧師

イザヤ書 63章1-9節 ヨハネによる福音書 12章20-36節

  イエス様は“一粒の麦は、地に落ちて死ななければ一粒のままである。死ねば、多くの実を結ぶ”とお話になりました。一粒の麦が大地に蒔かれて多くの実りが生まれます。実に自然なことです。ところがイエス様は、一粒の麦が死なないならば、一粒のままだ、とおっしゃいました。こちらは異常なことです。一粒の麦が死んで、そこから新しい無数の麦が生まれて来ます。これは自然なこと、当たり前なことです。大地の中のことは見えませんが、一粒の麦は根を生やします。根から吸収した栄養と自らの命に蓄えた力で成長して行きます。イエス様は、自分の命を憎む人は、それを保って、永遠の命に至る、とこの姿を教えられました。命を憎むという表現は分かりにくいですが、私たちの命が、大地に蒔かれること、そして死んで、新しい命が生まれることを意味しています。それは自然なことで、特別なことではありません。こうして命は保たれ、永遠の命に至るのです。“私は地上から上げられる時、すべての人を自分のもとに引き寄せよう”とイエス様はおっしゃいました。これはイエス様がご自分の十字架の死について示されたのだと理解されています。イエス様ご自身が、一粒の麦となって大地に蒔かれる時、死んで葬られる時、イエス様が死ぬことで、多くの実りをもたらすのです。イエス様の十字架は、ご自分を犠牲にして新しい命を生み出すための出来事だったのです。イエス様が死ぬことで、すべての人の新しい命が生まれて来るのです。そして私たちを照らしてくださる光なるキリストによって照らされている時に私たちは歩むべきです。暗闇の中を歩むべきではありません。しかし暗闇に閉ざされる時もやって来きます。確実に春は近づいているのに、冬に逆戻りする時があるのと同じです。春が近づくことを人は止めることはできません。寒さが戻る時、闇に閉ざされる時があったとしても、春は確実に近づいています。イエス様の復活の栄光は近づいています。私たちの人生を、キリストの光が照らし、導いてくださるでしょう。