2016年4月10日 主日朝礼拝 『さあ来て、食事をしなさい』大賀幸一牧師

イザヤ 61章 1-3   ヨハネ 21章 1-14

1)弟子たちに現れた
 ヨハネ福音書に復活の主イエス様が3回目の顕現が示されています。ガリラヤの湖での出来事です。何故復活の主イエス様は3回も弟子たちのところに現れたのでしょうか。それはもちろん私たちの為、人間のためです。人間たちはどこまでもわがままで、神様がイエス様を遣わしてくださらなければ、神様を信じないからです。最初の楽園エデンの園の物語に示されているように、人間世界はその最初から神様に愛され、神様の御言葉に守られていました。それを知っていながら、人間自身が勝手に神様の愛を捨てて自分たちの命を危険に晒しているのです。そして人間世界から神様を追い出したのが人間です。それなのに都合が悪くなると人間世界は神様を求めるのです。イエス様が3回も現れたのは、わたしたちが頑なで、わがままだからです。

2)漁に行く 
 ペトロたちはガリラヤに戻っています。イエス様の指示があったのでしょう。彼らは元々漁師ですから、出来ることと言えば漁をすることだったのです。ペトロたちはイエス様を信じて、イエス様を待っていたのです。ペトロたちのように私たち神様を信じ、イエス様を信じている者たちは、それぞれ自分たちの考えで生活し、行動しています。それは当然のことで、間違いではありません。神様を信じる者たちは、四六時中祈っていなければならないというのでもないし、四六時中聖書を読んでいなければならないというのでもありません。神様を信じて、神様に与えられた命を生きて行くのです。ただしこの地上を生きて行く時にわたしたちは神様を信じて生きて行くという大事なことを忘れてはなりません。それが本来の人間には不可欠なのです。神様を失った人間ではなく、神様と共に人間は生きて行く、それが本来の人間のあり方なのです。そしてこのことがわたしたちの本来の命を養うからです。神様を見失った人間の命はせいぜいこの地上世界だけの事です。どんなに豊かになってもこの地上世界だけの事です。本来の人間の命は、神様と共に永遠にあるのです。

3)あなたはどなたですか 
 弟子たちは、岸辺でイエス様の用意された朝食をいただきました。何故イエス様は朝食に招いてくださったのでしょう。それはヨハネ福音書が絶えず伝えているように、イエス様こそが真の命のパンであるからです。毎日の食事が私たちの日常の命を養い、支えています。イエス様は改めて弟子たちにイエス様こそがわたしたちの命のパンだと教えてくださるためです。弟子たちはもう誰もイエス様に向かって、あなたは誰とは尋ねる必要を持ちませんでした。何故なら誰もがイエス様であると確信したからです。最初はイエス様が分かりませんでした。今の時代も同じことが言えるのではないでしょうか。私たちには見えていない。
  魚は153匹だったそうです。昔から特別な暗号だという人があるようですが、間違いです。イエス様は153匹の魚を与えてくださったのなら、それが必要だから与えられたのです。ペトロたちだけを食べさせるためではありません。神様のなされることに無駄はありません。
  このように、わたしたちが、私たち人間が、神様に愛されていることを知るために、神様に見守られていることを知るために、神様が共にあることを知るために、イエス様はわたしたちのところに現れてくださっています。ですから安心して、心配せずに、私たちに与えられた歩みを進めましょう。しかし人間はいつもわがままですから、神様が本当におられることがわからなくなるので、私たちはこうして神様の御言葉を聞いているのです。それがわがままな人間に必要だからです。大切だからです。命の為だからです。今年度もご一緒に礼拝を守り、神様を、イエス様を信じて、生きて行きましょう。