2016年5月8日 朝礼拝『すべてをくださる神様』 平山武秀牧師

マタイ福音書6:9〜15(要約は大賀牧師)

 今日は主の祈り、マタイ福音書6:11「わたしたちの必要な糧を今日与えてください。」を中心にお話をいたします。7章まで続く流れの中で、6:25以下全てのものを神様は与えてくださるのだから安心しなさい。思い煩うなとあります。私は右京区の嵯峨野に住んでいます。毎朝鳥が20羽もやって来ます。確かに神様は雀を養っています。ルカ福音書12:24には、雀が烏になっています。詩篇147編にも食べ物を与えられる神のことが書かれています。私は毎週金曜日午前5時、朝祷会出席のため三条カトリック教会に出かけますが、人の通らない木屋町通りを烏が鋭いくちばしで突いていました。ルカ福音書の「烏のことを考えて見なさい」は、しっかりと目を留めて考えてみなさい、もっと大きな神様の考えを悟らなければならないと教えています。

 高野山真言宗のお寺でNCC宗教研究所主催の講演会がありました。真言宗の「入定信仰」弘法大師は今も生きているという信仰です。弥勒菩薩が世を救済するために来られるまで大師は肉体を持って教えておられるという信仰です。毎日大師のお墓に食事を運んでいるのです。純粋な信仰への感激を覚え、キリスト教との類似点と違いを覚えました。キリスト教もキリストが生きていることを信じています。しかしそのキリストに対して私たち人間が食べ物を差し上げることはないのです。全ては神様が与えられるからです。

 マタイ福音書6:11に戻ります。今日与えてください、との祈りは行き詰まりを覚える、矛盾しているという意見もあります。しかし私たちは、天の父とこどもとの深い関係をもってこれを読みます。こどもたちが何も願わなくても人間の親たちも必要なものを考え、与えているのです。逆に親としてはこどもたちに甘えてもらいたいと考えているのです。今日与えてください、というのは神様への絶対的な信頼なのです。私たちは人間の働きと神様の働きの次元を区別して理解すべきです。根底を支配されるのは神様です。もう一つの小さな次元、人間が自分たちの責任をもって働く次元があります。二つの次元は上下関係にあります。下から神様に支えられて人間の次元があります。上下でなく、同一平面にあるとする人もありますが、二つの次元が陣取り合戦をしているのではありません。

 オバマ大統領が広島を訪問する予定であるそうです。しかしアメリカではこれに反対する人々が多くあります。50年ほど前アメリカを訪問した時退役軍人が主張していたことが今も変わらずに聞かれます。原爆投下が神様の御心に適っているというものです。しかし歴史を導かれる神様は、どんな人間の罪があっても神様の業をなされます。神様と人間の働きを、次元を分けて考える必要があります。神様はちゃんと与えてくださいます。原発の問題を考える時、大きな安全と小さな安心が必要だと考えます。神様が備えてくださる大きな安全、人間たちが自分たちの責任で努力して作る小さな安心が必要なのです。

 私たちは、今日必要な糧を与えてください、と祈る中で、今日私たち人間が責任を持って努力し励むこと、安心して思い煩うことです。そして神様が明日を導き、備えてくださるのです。