2016年10月30日 朝礼拝 『流された血は降りかかる』大賀幸一牧師

イザヤ44:6-17、マタイ23:25-36
1)内側をきれいにしなさい 
 マタイ福音書において、イエス様は、律法学者、ファリサイ派ユダヤ人を批判します。あたがたの求め、示す義しさは、表面的、外側だけの中身の無いものである。実にあなた方の内側には、見るも恐ろしい汚れたものでいっぱいではないか。内側をきれいにしなさい。そうすれば外側もきれいになります、とイエス様は教えています。私たちの信仰生活はいつしか外側だけをきれいにすることが大事にされ、本来の自分たちの内なるものが養われているかどうか、イエス様に問いかけられています。しかしわたしたちはどうやって内側をきれいにすることが出来るのでしょうか。私たちは外側をきれいにすることは出来ます。お風呂に入ったり、顔を洗ったり、多少なりとも外側をきれいにすることは出来ます。しかし内側をきれいにするにはどうすべきなのでしょうか。

2)外側は美しく見えるが
  ハロウィンになると怪物に変身したくなる人間たちですが、それは実は自分たちの中にある吐き出したいもの、隠して置けない爆発しそうなものが外側に溢れて来た結果なのかもしれません。本来は隠しておきたいものですが、吐き出さずにはいられないものがあるのでしょうか。こんな物語があります。はるか未来の物語です。遠い宇宙の星へ探検に行った宇宙船が地球に戻って来ました。ところが宇宙飛行士たちの姿形はなく、代わりにどろどろに溶けて宇宙船やあらゆるものと溶けて融合したものがありました。以来至る所で恐ろしい病気が流行しました。ありとあらゆるものがくっつて離れなくなってしまったのです。誰も原因を突き止めることも解決することもできません。遂には地球上の全ての者がくっ付いて、溶け合って入ったというお話です。最初は誰もが恐れおののいていたのですが、あらゆるものと溶けてくっついてみると、誰もが安心し、これまでになかった平安を得ることとなったのです。この話を最初に知った時、私はもしもそんなことになったらと恐怖しました。何故なら自分の弱さや小ささや惨めさやら何でもかんでもみんなに知られてしまうことが怖かったのです。ところが実際には知られてしまうともう何の心配もないのです。何故こんなことで心配していたのか、もっと早く知られていれば何にも案ずることなどなかったのです。しかし人間は今も自分の小ささや弱さに怯え、殻に閉じこもります。それでは決して人間の内なるものは清くはならないのです。

3)あなたたちに遣わす 
 マルコ福音書23:34、聞く耳のない私たち人間を攻め立てるように、神様はわたしたちに、預言者、知者、学者を遣わすとあります。ところが人間たちは自分たちに都合に悪いことを言うものたちを迫害し、時には殺害して回るのです。神様はそれが分かっていても、それでも私たちが生きるために必要だから預言者たちを遣わすとおっしゃっています。それは一種わたしたちを断罪するように執拗に神様が使者を遣わしているように見えるかもしれません。「これらのことの結果は全て今の時代の者たちに降りかかってくる」、とされているからです。使者たちを通して語る神様の言葉と知恵が人間を生かすからです。人間が生きるために神様の言葉と知恵は全ての人にどの時代でも語られて来たからです。イエス様の尊い血は流されました。それが降りかかって行ったのはどこに降り注がれたのでしょう。私たちの罪、私たちの弱さ、小ささにではないでしょうか。そして私たちは清められた。私たちの内側の毒は清められ、代わりにイエス様の流された血潮が塗り込められたのです。私たちの中にイエス様がいてくださるのです。私たちが追い出さない限り。
  恐れるな。怯えるな。既に私はあなたたちに聞かせ、告げて来たではないか。あなたたちは私の証人ではないか。  イザヤ44:8