2017年2月5日 朝礼拝 『天の国の秘密を知る』大賀幸一牧師

イザヤ6:8-12、マタイ13:10-17
1)沈黙 
 映画「沈黙-サイレンス-」を見ました。島原の乱以降キリシタン弾圧は熾烈になって行きます。当時の政府がキリシタンの力を非常に恐れたからです。弾圧は人間から神様や信仰を奪うことから始まり、教会や宣教師の弾圧に進みます。一人の信徒が棄教するよりも宣教師が棄教することの効果を考えたのでしょう。宣教師たちは突きつけられるのです。お前がこの人たちを殺しているのだ、お前がキリストを否定して棄教すれば、この者たちは救われるのだ、と。もちろん詭弁です。しかし宣教師たちは、人々がこれ以上拷問を受け、苦しんでいる姿を見続けることができません。それ故に、踏絵を踏んで棄教いたします。その生涯棄教した宣教師、転んだパードレとして生きて行くのです。自分たちが転んだことで信徒一人一人が救われることを選んで行きます。登場人物の中でも最も象徴的な人物がキチジローです。彼はキリシタンでありましたが棄教します。その彼が日本に潜入する宣教師たちの導き手になるのですが、キチジローは度々棄教します。また度々復帰します。何度もあっさりと軽々しく棄教したかと思うと、宣教師の所に来て赦しを求め、こんな私でも神様は赦してくださいますか、と尋ねるような男です。宣教師の方が又かと何と愚かな男と侮蔑するのですが、繰り返される棄教と復帰の度に宣教師はそれでも赦しを与えます。何とも無様な姿ですがこれこそがつまり私たち人間の姿を表しているのでしょう。何度も何度も裏切り、何度何度も神様を捨て、それでも何度も何度も神様の救いを求め助けを求める。神様はいつもそうやって私たちの愚かさを見つめているのかもしれません。神様はいつも沈黙したままだった。これがこの映画、小説のテーマでした。しかし実に苦悩する宣教師そのものと共に神様はおられたのです。神様は信じる者たちと苦しむ宣教師と共に、その目と耳と心と共にあるのでした。

2)天の国の秘密 
 イエス様は弟子たちの質問、何故譬えでだけお話されるのか、と問われました。イエス様は、あなたがたには天の国の秘密を悟る、知ることが許可されているが、あの人たちには許されていないのだとおっしゃっています。それは持っているものまでも失ってしまわないように、というイエス様の愛からであると説明されています。イエス様の与えてくださるものは真実、真理です。これをしっかりと守り、しっかりと保って行くことが出来なければ、人々はイエス様のお与えになったものをあっさりと捨ててしまいます。耐え切れなくなって、苦しさの中で、一時的なことのために。人間はあっさりと捨ててしまうのです。そしてすぐさま戻ろうとするのです。そんな人間には、誰が大事なものを託すことができるでしょうか。では、弟子たちはどうなのか。弟子たちは本当に天の国の秘密を知るだけの資格がある者だったのか。彼らもまたイエス様だけを残して逃げ出していったのではないでしょうか。イエス様を知らないといったのではないでしょうか。そんな彼らが天の国の秘密を託すことのできる者たちであったのでしょうか。誰もがイエス様と一緒に自分たちの罪の故に死んだのです。しかしイエス様と一緒に復活させてくださいました。イエス様と一緒に死ぬことで、イエス様が一緒に死んでくださったので。本当の事が見えるようになったのです。本当の事が聞こえるようになったのです。今わたしたちはイエス様によって見ています。皆さんの目は本当のものを見ています。