2017年6月25日 朝礼拝 『労苦は無駄ではなかった』大賀幸一牧師

イザヤ60:19-22、フィリピ 2:12-18
1)自分の救いを達成する方法
  自分の救いの達成に務めなさい。これが今日の御言葉のポイントとなる言葉です。私たちの救いは、神様から来る。私たちの救いは神様にある。ですから自分の救いを自分が達成するというのはちょっとおかしいように聞こえるのです。パウロは、十字架につけられたキリストを信じる、十字架の言葉を信じると告白していますように、私たちの救いは神様の愛にあると教えて来たのです。ただし13節で、あなたたちの内に働いている神様のことを教えています。自分の救いの達成とは、やはり神様との関係であるのです。

2) 私の血が注がれても
  フィリピ教会の兄弟姉妹たちのために書かれたこの手紙は、パウロさんが獄中にあったことを想像させています。小さな教会だったようですが、とても信仰は厚く、パウロさんを支え、共に歩んで行こうとする思いはどの教会よりも強かったと言われています。獄中にあるパウロさんのためにエパフロデトという人を送って、パウロさんの世話をさせているぐらいです。パウロさんは、もしも自分がこのままこの土地で処刑されたとしても私は構わないし、それを喜んでいると言っています。もしもフィリピ教会のためにパウロ自身が犠牲となるならそれを喜ぶと言っています。愛するフィリピ教会の兄弟姉妹たちのために、自分の全てが献げられることを喜んでいるのです。 昨日、上田雅子姉の御葬儀をいたしました。上田姉妹は、御家庭でも、教会でも、いつも自分の事ではなく、隣人の事ばかりを心配しておられたと伺いました。病床でも自分のことよりも家族の事ばかりを心配されていたとのことです。上田姉妹が書かれた教会90年史に掲載された文章をご紹介させていただきました。”新人教師の告白“です。受洗されて間もなく教会学校を手伝うことになり、こどもたちの前に立つことになられました。このこどもたちとの関わりがあったからこそ、上田姉妹の信仰は、喜びに溢れ、信仰を確立することとなりました。教会に根付くことになったのはこどもたちのおかげであると。私たちの信仰の確立、救いの達成とは、こういう事なのです。自分の救いの達成ですから、自分のために、自分の救いのために何をするかではないのです。自分の救いの為には、自分以外の兄弟姉妹のために何をするかなのです。こどもたちのために何をするか。現代は内向きの時代で、誰かのためよりも自分のためという時代ですが、それでは本当に人間としては成長しないのです。本当に成長する人は、愛するものたちを養う人、隣人を養う人なのです。

3) あなた方のうちに働いている神様
  もちろん神様も私たちの中で働いてくださっています。私たちが良きものを希望するように働き、御心に適った道を選び取るように働いてくださっていると、パウロは神様が、私たちの命の中で、私たちの人生の中で、私たちのために働いている事、私たちを導いていることを証ししています。そして、パウロが勧めているのは、私たち自身がなおさら神様に対して従順であること。すなおであること、神様に対してへりくだってあることが求められています。14節にも、何事も不平、理屈を言わずに行うことが求められていますように、先ず神様を信じること、素直に神様を信頼することが必要だと示されています。そして自分を養うのではなく、隣人を養う事です。私たちを成長させてくださり、私たちの救いを達成させてくださるのに必要なのは、愛する兄弟姉妹なのですから。私たちの京都丸太町教会は、これからも益々精一杯兄弟姉妹を愛し、イエス様を愛し、神様を愛するのです。