2017年8月27日 朝礼拝 『ここに私の母、兄弟姉妹が』大賀幸一牧師

創世記24:62-67、マタイ12:43-50
1)私の母とは誰か
  イエス様の所に、イエス様の母マリアさんと弟たちが訪ねて参ります。マタイによる福音書にはこの訪問の理由が示されていませんが、マルコ福音書3:21には、イエス様を捕まえて家に連れ帰るためであったと記されています。その教え、その業の驚くべきところなどなどが語られると共に、学識も何もないイエス様が何故このようなことができるのかという妬みや疑いから、気が狂っているのではないかという悪評も出て来ます。マリアさんたち家族はそれを聞いてとても心配になって出かけて来たのです。マリアさんたちは、決してイエス様のそばまでは近寄りませんでした。イエス様の周りに集まっている人々とは一線を画すように、外に立ち続けていたと記されています。それがイエス様とマリアさん家族たちとの関係、距離を示しています。イエス様はマリアさんたち家族が何故来たのかを理解しました。イエス様がそこでおっしゃったのは、私の母、兄弟とは誰かと自問するような話しです。そしてイエス様は、ここに私の母、兄弟、姉妹がいると、結論しました。天の父の御心を行う人が、イエス様の家族だとおっしゃいました。マタイ福音書には弟子たちの方を指してという言葉があるのですが、マルコ福音書には弟子たちという言葉はありません。弟子という限定でなくても、ただイエス様と共にいた人々のことをイエス様はご自分の家族であるとおっしゃったのです。

2)私の母 
 イエス様が公生涯を始められたのは30歳からであると伝えられています。それまでイエス様は家族のために生きられました。父ヨセフはイエス様が12歳までは存命でしたが、その後亡くなったと想像されています。その後はイエス様が一家を支えて、家族を養ったのです。しかしイエス様の中にある神の子としての霊は、一家族の為だけにあることに収まらなかったでしょう。弟たちの成長を待ってイエス様は家を出て、神の子としての働きをなさったのです。ご自分の家族を捨ててでも私たちをイエス様の家族とするために生きられたのです。イエス様の家族は、血縁だけに留まりません。イエス様によって招かれた者たち、イエス様の元に集まって来た者たち全てがイエス様の家族です。イエス様によってどれだけ多くの人々がイエス様の家族にさせていただいたか、を覚えるべきです。イエス様は私たちを愛するために、全てを捨てられたのです。

3)父の御心を行う 
 イエス様によって家族とさせられた私たちです。イエス様の家族が歩む道は、神様の御心を行う、ということです。そのためには神様の御心を知らなければなりません。今日のマタイ福音書に、悪霊の話しが出て参ります。悪霊が出て行った後、その部屋は綺麗に掃除がなされていました。ところが悪霊は戻って来てもっと悪い悪霊と共にその部屋に入り込むようになると状態は以前よりも悪くなるというお話です。イエス様は、悪霊の支配から解放された人間たちが、それで良かったで終わってしまえば、大変なことになると警告しているのです。そこに悪霊に支配されることのない確かなものが、力強い、愛に溢れたもので満たされないと、人間はまた別の悪いもの支配されてしまうからです。イエス様によって悪霊から解放された人々は、楽になって良かったではなく、そこに神様が住むように、イエス様がいつもおられるようになることを教えているのです。私たちの人生に、いつも神様が共にいてくださり、私たちを満たしてくださるならば、もはや何物にもわたしたちは迷う事も乱されることもないのです。私たちの人生が、絶えず神様によって満たされ、導かれるために、わたしたちは神様に招かれて、御前に帰って来ます。そして、聖霊に導かれて再び神様に遣わされて行くのが神様と共にある私たちの人生です。