2017年11月19日 朝礼拝 『礼拝と教会音楽』橋本周子先生

出エ 24:4-8、ヨハネ 6:54-59

 

1)礼拝とは
 礼拝とは、神から受けた恵みに対して、イエスと共に感謝と賛美を捧げることと考えます。そして、神の栄光を賛美することこそが教会のすべての働きの目的です。一人で祈ることも大事です。しかし、日曜日に集まることはまた別です。礼拝の場において、会衆一同で賛美し、音楽を捧げ、牧師の話を聞くとき、そこにはいつでもイエスがおられるのです。
 神は私たちとの仲介者としてイエスをこの世に送られました。それにより、私たちは永遠の世界の礼拝に参加することができます。それは私たちの内なる目によって感じる礼拝です。最も尊い礼拝ですが、私たちは個人的な事由で礼拝に集うこともあります。それでも、神はその尊い礼拝へ私たちを招き、イエスと共に感謝を捧げることを許してくださいます。イエスと一緒に礼拝にいる、それは礼拝の根源的な考えとも言えます。

2)教会音楽とは
 教会は教会音楽を宝物として保ってきました。神の御言葉を歌う聖歌は礼拝に欠かすことのできない賛美であり、最も尊いものです。教会音楽の目的は、祈りを表現するだけではなく、私たちの一致、つまり、奏者と会衆が聖化されることも含みます。聖歌隊の賛美を心から聞くことで、私たちはイエスや神を心に感じることができます。私たちの心には聖なる命が生まれ、神に近づくことができるのです。
 第二バチカン公会議では、聖歌隊だけでなく、聖歌隊の賛美を心から聞くことが最も行動的参加になると教えています。聖歌隊の賛美を聞き、その美しさを感じたとき、私たちには霊の世界が芽生えます。それが行動的参加なのです。私たちの喜びは聖歌隊に伝わり、奏者と会衆の心が一つになって、そこからさらに賛美を捧げるというのはとても素晴らしいことです。

3)より深い礼拝のために
 第二バチカン公会議以降、より深い礼拝を捧げるため、教会音楽や礼拝について正しい教育をすることが勧められました。そこには、永遠の礼拝に協力することが必要です。具体的には、礼拝で心を共にし、共に賛美することです。見えない世界が見える世界に、聞こえない世界が聞こえる世界になることが礼拝の最大目的であり、神は私たちがそうなることを待っておられるのです。

4)礼拝へ参加すること
 礼拝はこの世のものです。しかし、礼拝を通して神と一致し、永遠の礼拝に参加すると、あの世を体験することにもなります。私たちはそうした礼拝のために聖書を読みます。その中にイエスがおられ、イエスが私たちに御言葉を語ります。そして、私たちは賛美を捧げます。その心にイエスがおられます。結果、賛美をすることで世の中に御言葉を伝えることになります。礼拝で音楽を奏することは、自分のためや人間的なことではなく、神聖なことに参加しているのです。それを自覚したとき、私たちは神と一致し、礼拝から恵みと喜びを受け、それを体から溢れさせ、それぞれの場所へ帰ります。
 神は私たちの信仰深さに関わらず、聖なることへの参加を許されました。それが、直接的か間接的かは関係ありません。賛美を聞いて喜び、慰められたら、その人は神と一致したことになるからです。
 神は私たちの参加を、神を愛することを、賛美の歌声を待っておられます。たとえ至らない賛美でも、神はそれを“良し”とされます。その素晴らしいことへ参加できることに感謝いたしましょう。