2017年12月17日 朝礼拝 『呼びかける声がある』大賀幸一牧師

イザヤ書40:1-10、マルコ1:1-8

1)慰めよ 
 クリスマスを迎えるに当たり、必ず語られて来たのが、先駆者の存在です。それはイエス様誕生の前に生まれた洗礼者ヨハネのことであり、わたしたちをイエス様へと、クリスマスへと導く存在があることを示しています。神様はわたしたちを必ずイエス様へと導くために、その徴、道しるべとなる、私たちが迷わないように、間違わないように、私たち慰める存在を遣わしてくださると約束してくださっています。洗礼者ヨハネは、ユダヤの祭司の息子として誕生しています。父ゼカリヤ、母エリサベツの初めてのこどもでした。人々をイエス様へと導く大切な使命を持ったこどもが生まれたのです。ユダヤの人々は、ヨハネこそがメシア、キリストではないかと大きな期待を持ちました。しかしヨハネ自身がはっきりとそれを否定しています。ヨハネは、悔い改めのバプテスマを人々に勧めました。悔い改めというのは反省するという意味ではありません。回心という言葉がありますように、心を回すのです。どこに心を回すかというと神様に向けて心を回すのです。それが悔い改めるということです。私たちは神様を信じています。ユダヤの人々も神様を信じていました。しかし私たちはいつの間にかその心が神様から離れてしまっているということがあるものです。その私たちの心を再び神様に向けさせてくださり、再び私たちと神様とを結び合せてくださる、そのために洗礼者ヨハネは神様により遣わされました。このヨハネの存在自信が、神様がおられる、神様が生きておられることの証明でもあります。

2)飼い葉桶に寝かされた子 
 神様が私たちのために一生懸命準備してくださってクリスマスが存在しています。それでも、イエス様が私たちの人間の世界に来られた時、イエス様は私たちの世界のどこにも居場所がありませんでした。人間たちはイエス様をお迎えすべき場所を用意していなかったからです。イエス様がお生まれになった時、イエス様が寝かされた飼い葉桶は生まれた赤ちゃんが眠る場所ではありません。しかもその飼い葉桶は、冷たい石で出来ています。それは人間世界がいかに冷たく冷えているかを表わしているようです。それでもイエス様は冷たい人間世界に生まれてくださったのです。私たちは最初のクリスマスの時の様にではなく、私たちの可能な限りの真心を込めてイエス様をお迎えいたしましょう。イエス様の居場所を奪うような人間世界ではなく、イエス様の置かれた冷たい石のような頑なな心でもなく、改めてイエス様を今年も私たちの所に迎えられるように、神様に心を向けて行く必要があります。

3)神の御言葉は永遠に立つ 
 入院されていました一人の姉妹が先週日曜日無事退院されました。姉妹の入院を知らされた時、もうこれが最後かもしれないと予想をいたしました。しかしお見舞いに伺ったら、最後どころか声を張り上げて喜んでくださいました。何よりも京都丸太町教会を愛して、教会に、礼拝に行きたいと叫び続けてくださいます。もちろん難しいでしょう。それでもそんなに教会を、礼拝を求めてくださっています。どんなに教会、礼拝が大切であるか証言してくださっています。「草は枯れ、花はしぼむが、私たちの神の言葉は永久に立つ」。神様の御言葉は、何よりも兄弟姉妹を慰め、何よりも兄弟姉妹たちの力となります。神様は必ず先駆者を遣わして、私たちが、皆が迷うことのないように、神様が私たちを今もこれからも愛していることを私たちにお与えになります。導かれ、用意して皆さんとクリスマスを迎えましょう。