2018年2月18日 朝礼拝 『イエスを荒れ野に送る』大賀幸一牧師

エレミヤ31章27-34、マルコ1章12-15

1)ヨハネの黙示録 
 現在春の入門講座を行っているのですが、大変好評をいただいております。小礼拝室が満員御礼になっています。たぶんヨハネの黙示録に対する強い関心が皆さんにおありになるのだろうと想像しています。ヨハネの黙示録なかなか分けの分からない書物です。人間世界が神様から審判を受けます。これまでになかったような大患難を人類は受けることになると書かれているのです。7つの封印、7つの天使のラッパ、7つの災いの鉢、天使と悪魔との戦い、世界の1/3が損なわれるなどなど。どれも不思議で何を示しているのか分かりにくい書物です。ただそうした事象にばかり目が行って、本来の大事なところが見えなくなってしまいます。大事なのは神様の新しい御言葉が与えられるということなのです。ところがそれを開いて示すことのできる者が人間の世界にいないという事なのです。神様の御言葉を開いて読む資格、神様に認められた者は人間の中には誰一人としていないということです。しかし安心してください。そこにイエス様が登場して、神様から新しい御言葉の書かれた巻物をいただき、7つの封印を開いて行かれるのです。黙示録の示す問題は封印が開かれる度に人間世界に災いが起こるのです。神様のおられる天国から地上に向かって投げつけられるのが、殉教者たちの訴え、あるいは信仰者たちの神様への祈りです。ところが人間世界は反省することもありません。神様の審判において問われているのは、人間世界に対して神様が忍耐し、愛して来られたことに、どのように自ら応えて来たのか、ということなのです。人間の頑なさに対する神様の怒りが、人間世界の1/3を損なって行くのです。黙示録は、耳慣れない恐ろしい表現で飾られていますが、その根本にあるのは、神様がこれまで如何に人間を愛しているか、忍耐しているかということです。しかし時が迫って来ているのです。神様によって世界は新たにされようとしているのです。神様が新たにされる世界に、全ての人が導かれるように、神様は黙示録を与えられたのです。神の小羊の血によって清められた者たちは、新しい世界へと導かれるのです。

2)福音を信じなさい
 黙示録には、神様の怒りと審判だけが前面に押し出されていますが、それは神様の愛と恵みを見ようとしないからです。今日のエレミヤ書にも、神様はこれまでとは全く異なる新しい契約を人間との間に結ぼうとされています。それは、イエス様がわたしたちに伝えてくださったように、福音によるものです。イエス様は、私たちの代わりに悪魔とも戦い、私たちにこの福音、神の福音を伝えてくださいました。神の福音とは、神様が私たちにお遣わしくださった方を信じることです。この方は、わたしたちのために生まれ、私たちと同じものとなるために人間として生きてくださいました。さらに、神の子、キリストであるのに、その命を持って私たちを買い取ってくださいました。わたしたちは、このイエス・キリスト抜きに自分たちの人生を歩むことはありません。イエス・キリストを失って私たちの命などあり得ないからです。レント、受難節の時、私たちは今一度、イエス様へと目を向けます。神の福音によってある私たちの命、人生を思い出すために。ここまで私たち人間を愛しておられる神様へと心を向けさせられます。時に私たちの心は、神様に向けられていない。神様から外れてしまっているからです。私たちの心を神様に向け直しましょう。