2018年5月13日 朝礼拝 『永遠の命を与える』大賀幸一牧師

イザヤ書45章1-7、ヨハネ17章1-13節

1)今日のイザヤ書には、
 ペルシャ王クロスの事が記されています。クロスは、バビロニアに捕囚となっているイスラエルに解放を与えた人物です。イザヤ書には、神様がクロスを導いたことが記されていますが、クロスはそれを知らなかった、とあります。クロスは神様に用いられている事を認識していなかったのです。それでも神様に用いられていたのです。神様は、私こそ神、他の者は虚しいもの、とおっしゃっています。

2)御許から出て来たことを知る 
 聖書を通して神様は、私たち人間に虚しいものを追い求めるな、と教えています。人間は誰もがいつかどこかでふと虚しさに出くわすことになるのではないでしょうか。どんなに充実した人生、仕事、業績を持っていても、多くの友人を持ち、様々なところに旅行し、世界中のありとあらゆることを見聞きしても、安心な人生設計を達成していても、どこかに虚しさを感じることがあるのではないでしょうか。その虚しさはいったいどこからやって来るものでしょう。その最大の原因は、私たちは地上の人生には必ず終わりが来るということです。この地上でどのように蓄え、積み上げ、建てていっても、それらを全て私たちは手放さなければならないし、持ち続けることが出来ないということです。そしてもう一つ、私たち人間は元から計り知れない大切なものを既に失ったままである、ということです。人間はどこかで神様を求めています。キリスト教の示す神様だけでなくとも。それは神様の助けを求めているだけではなく、人間が根本的に失っているものが神様だと言えないでしょうか。本来人間は神様と共に生きるものなのだと、聖書は教えているのです。しかも生きている真の神様と共に生きる者が人間なのです。偽の神様ではなく。

3)イエス様は栄光を表わしました。
 その栄光はイエス様が伝えた御言葉によるものです。神様がイエス様に与えた人々は、イエス様の与える御言葉を受けました。この御言葉を受けて、人間は多くを受けました。中でも大事なのは、御言葉が与えられて人間たちは、イエス様が神様から遣わされたことを確信したことです。神様とイエス様とは一体であって、イエス様が語られることは神様が語られることです。イエス様がなされることは神様がなされることです。イエス様は私たちに神様の栄光を示されました。イエス様を通して私たちは神様を知ることとなっているのです。
  イエス様は私たちに永遠の命を与えます。永遠の命とは、真の神様とイエス様知ることです。信じるでも従うでもなくただ知ることです。神様とイエス様を知ることは、私たちの人生がどんなにしても埋めることのできないものを埋め、虚しさを解消することとなります。私たちの人生の無駄なと思っていたところも実に大事な時だったと気づかされます。自分自身の足らなさや人間関係の未熟さを知り、新たにさせられます。神様とイエス様を知る事、それは私たちがどんなことをしても満たすことの出来なかった部分を満たし、溢れさせることです。そのためにイエス様はわたたちのために祈ってくださいました。