2018年5月20日 朝礼拝 『一同霊に満たされ語る』大賀幸一牧師

ヨシュア記1章1-9、使徒言行録2章1-11

1)ペンテコステ 
 イースターから50日目、五旬祭、ペンテコステを迎えました。使徒言行録2章だけがペンテコステの出来事を記しています。2節、激しい風が吹いてくるような音、3節、炎のような舌が分かれる、4節、聖霊に満たされ、聖霊によって語りだす弟子たち。この様な順序で、ペンテコステの出来事が記されています。イースターで、イエス様の復活が示されました。それで神様の救いの業は完成ではなかったのです。聖霊を遣わすことはイエス様ご自身から語られ、約束されていました。聖霊が降ることは、神様の計画にあった出来事です。イエス様の復活は、神の子キリストの死が私たち人間全ての贖いとして行われました。イエス様は復活し、神様はイエス様を死の中に留めず、再び弟子たちの前に姿を現し、弟子たちは復活のイエス様を信じる者とされました。死は終わりではなく、死から命へと神様の救いの計画はイエス様を通して続いているのです。この神様の御業の中に私たちの命もあるのです。そしてペンテコステを迎えます。

2)風と音 
 ペンテコステの最初、それは風そして音です。激しい風、それは神様の霊、神様の息です。イエス様の命により助けられ、罪を拭い綺麗になった人間は、まだ生まれたてです。ペンテコステに吹いた激しい風は、神様が人間を、人間世界を新たな命、世界として始められたことを示しています。創世記には、世界の最初は混沌でしたが、神の霊が覆っていたとあります。人間も神様の霊を受けてその命は始まるのです。神様はペンテコステの出来事を通して、人間を世界を新たに始めようとして神の霊を送ってくださったのです。この神の霊が世界に吹いてくると、音がします。神の霊と音楽は切り離せないものです。どの教会のオルガンも、神の息、霊で音を奏でているからです。聖歌隊の賛美も皆さんの賛美も神の霊によってなされているのです。

3)炎と舌 
 2番目は炎のような舌です。炎なのかそれとも舌なのか、どちらなのか、と考えますが、大事なのは、神の霊は、分かれて、一人一人の上に留まったというところが大事です。誰か一人だけの上にではありません。そこに一緒にいた全ての人、一人一人に分かれ分かれて現れ、そして留まっているということです。神の霊は、どの人の上にも留まっています。

4)聖霊に満たされ語る 
 神から発する霊、聖霊がその人に留まると、人々は語りだしました。神の霊を受けることと、語ることはつながっているのです。弟子たちが聖霊を受けて語りだしたのは、神様の偉大さについて語っているのです。聖霊は真理の霊と呼ばれ、人間に神様の真理を与えます。聖霊を受けた人間は、神様の真理を語りだすのです。ただしここで語られたのは様々な言語です。分かる人にしか分からないのです。しかしこの後ペトロ達は改めてイエス様について語りだしました。そして大勢の人々がイエス様を信じたのです。聖霊を受けたのです。そこには色々な国、地域から人々がやって来ていました。神様は、様々な人々が神様の霊を受けること、神様の愛を受けること、神様の恵みを受けることを与えられました。それが神様の御手による業なのです。私たちもそれぞれ、聖霊を受けています。神様を信じ、愛することは、人間から生まれたことではないからです。神様から出たことだからです。ならば私たちも神様信じているということは、神様から出た聖霊を受けているという証明なのです。神の霊を受けて進みましょう。