2018年11月4日 朝礼拝 『雲の中に私の虹を置く』大賀幸一牧師

創世記9:8-17、ルカ福音書11:33-41

1)洪水審判 
 洪水審判、それは神様のなされた審判、裁判です。人間は、地上の生涯を終えた時、神様の審判を受ける者、古今東西共通した理解があります。何故人間は審判を受けなければならないのでしょうか。人間が悪だからでしょうか。本当に悪ならば、人間は滅びた方がいいでしょう。悪なのではなく、人間が正されるために審判が行われます。地上の裁判も、犯罪を犯した人がその罪を償うために裁判が行われます。神様の審判も、人間が正しくされるため、人間が生きるために行われるのです。アダムとエバの後、人間世界は、暴虐に満ち溢れたと言われています。神様の御心には適わない人間世界となってしまい、世界は神様の審判を受けることとなりました。人間世界を滅ぼすためではなく、人間世界が神様によって新たにされて、生きるためです。神様がこの審判のためになさったのはどのようなことでしょうか。ノアに箱舟を作らせたということです。やがて大洪水がやって来るということをノアに知らせ、ノアたちに箱舟を作らせました。ノアの箱舟は、ノアたちだけが助かるために作られたのでしょうか。結果はその様になっています。ノアたちだけが新しい世界に生き残り、他の人間たちや動物たちは皆滅びてしまっても構わないとするのが、神様の審判でしょうか。そうではないのです。

2)永遠の契約を立てる 
 今日読んでいただいたところに、神様は肉なる者との間に永遠の契約を立てるとおっしゃっています。その契約は、二度と洪水が来て、肉なるものをことごとく滅ぼされることはない、大地を滅ぼすことはない、という契約です。もはやそのような審判は意味がないと神様はなさったのです。ノアたちだけが生き残るだけの審判は意味がないのです。神様は、ノアたちに箱舟を作らせました。それには長い時間が必要でした。その間、人々は、ノアたちが箱舟を作る理由を聞かされたでしょう。神様は人間たちがノアの箱舟を見て、神様の御許に帰ることを求めていたのです。しかし、人間たちは神様もとに立ち帰りませんでした。神様のもとに立ち帰らないという事は、神様の審判を受けて滅びるということです。それでは、神様の御業は完成されないのです。審判は、人間たちを生かすための御業なのですから。洪水審判は、失敗でした。しかし、神様は、ノアたちを通して、新たなる人間世界を立てられました。そして、洪水審判では、人間たちは救われないことがはっきりとしたのです。神様は、肉なる人間たちと、動物たちと永遠の契約を結ばれました。生ける者たちに恐怖を与えて、神様の元に立ち帰ることをさせないと。代わりに、神様は、雲の中に私の虹を置くと約束されました。人間たちも神様も、雲の中に置かれた虹を見て、永遠の契約を覚えるためです。

3)光は隠されるものでなく燭台に 
 イエス様は灯火をわざわざ隠して、見えないようにしてしまうような愚かなことは誰もしません、と教えています。その通りに神様も、私たちのために、その灯火を灯して、見えるようにしてくださっています。あのノアの時代にも箱舟が灯火の役割をしていました。私たちの前の時代には、イエス様自身が、神様の大きな灯火として、今も灯されています。あらゆる時代に、神様は、その大いなる愛をもって示される灯火を灯し続けてくださっています。私たちが、光りを失わないように。希望を捨てないように。神様がいつも一緒にいることを見失わないようにです。私たちの救いは、この神様との間に結ばれています。