2018年12月9日 朝礼拝 『実現する』木谷 実 伝道師

イザヤ55:1-11、ルカ福音書4:14-21

 クリスマスに救い主が与えられた出来事は、神様からの約束が果たされた証しでした。ルカ福音書によると、イエス様が世に遣わされたのは「貧しい人に福音を告げ知らせるため」でした。「貧しい人々」と表現される社会的に弱くされている人々へ、福音を告げ知らせるために来られたのです。イエス様が知らせた福音、その良い知らせは、そのような人々へ救いをもたらしていきます。イエス様は人の弱さを切り捨てるのではなく、弱さを持つ人間に救いをもたらすために遣わされました。弱くされている者が救われるため、キリストは神様によって世に遣わされ、神様からの約束は実現したのです。
 私たちもまた、様々に満たされない貧しさを抱えて生きる弱さを持った人間です。神様の前にいろんな「貧しさ」を抱えています。そんな私たちにもキリストの福音は知らされています。神様が救いを約束してくれています。その救いに与るために、イザヤ書には神様のもとに「ただ来て、ただ従いなさい」と記されています。見出しうるときに、呼び求めるときに、ただ神様の前に出て、ただ神様の言葉に従うのです。神様の思いは、私たちの思いを「高く越えて」います。私たちが過ちを犯したとしても、弱さにより躓いたとしても、神様はそれ以上の赦しと愛をもって働いてくださいます。「ただ来て、ただ従う」者に、神様は赦しと、救いの約束を備えてくださるのです。
神様は呼び求める人たちへの救いを約束してくださいました。その約束はキリストの、貧しさを持つ人間たちへの救いによって果たされました。それは私たちにも、与えられている救いです。イエス様は会堂で聖書を引用されたとき「主の恵みの年を告げ知らせるためである」と言われました。これは旧約聖書では「ヨベルの年」と言われる制度を指しています。ですがこの箇所では、それだけではありません。この「恵みの」と訳されました言葉には、「受け入れられる」という意味もあります。「主の恵み」は私たちが主に受け入れられることです。与えられた救いが実現しますのは、キリストによって私たちが受け入れられるときです。私たちの主の恵みの年はもう始まっているのです。
 ただ来て、ただ従う者をキリストは受け入れてくださいます。何度も何度も間違えてしまう私たちを赦し、神様が受け入れてくださいます。キリストが私たちの弱さ、醜さ、罪深さ、それら「貧しさ」の全てを知り、受け入れてくださいます。このキリストが受け入れてくださるときにこそ、救いの言葉たちが実現していきます。神様が「あなたに救い主を与える」と言われた約束が、実現するのです。
 アドベントの第二の主日を迎えました。貧しい人間たちへの救い主として、イエス様が与えられました。私たちの罪を豊かに赦す救い主です。私たちも自らの救い主として、キリストを受け入れましょう。それぞれに救いの約束が実現するのは「私の救い主」として、キリストを受け入れた時です。神様が「救う」と、キリストが「受け入れる」と約束してくださったのは、神様を呼び求め、見出し、悔い改める一人ひとりです。私たちも聖書や教会を通して、それぞれに生きる現場を通して、キリストと出会っていきます。そこでキリストは言われます。「これらの聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」神様からの約束はキリストによって実現していきます。私たちの救いの約束は果たされ、実現するのです。