2019年1月16日 朝礼拝 『主は明日、驚くべきことを』大賀幸一牧師

ヨシュア3:1-17、ルカ福音書3:15-22

1)民衆はメシアを待ち望んでいた 
 今日のルカ福音書では、民衆はメシアを待ち望んでいた、とあります。本当は、メシアではなくギリシャ語でキリストと書いてあります。メシアは、ユダヤ王、油注がれた者を意味しています。キリストは、そのメシアのギリシャ語訳ですが、ナザレのイエスの称号でもあります。そしてキリストという言葉は、王様以上の意味を持ちます。救い主、私たちの救い主、異邦人の救い主という意味も含められています。人々は本当に神様による救いを求めていたのです。人間から来る助け、救いではなく、神様による救いを求めていたのです。もちろん人と人はこれからも助け合うべきものです。しかし人々が最終的に求めるのは、神様から来る救いなのです。

2)水による洗礼から聖霊と火の洗礼
 洗礼者ヨハネが現れて、沢山の人々を教え、水によるバプテスマを授けていました。しかし、水によるバプテスマは始まりであって、完成ではありません。わたしたちはみなメシアを待ち望んでいるから、水によるバプテスマを受けました。神様が私たちのためにお遣わしになる救い主を求めるからです。そして水による洗礼を受けた者たちは、聖霊と火による洗礼を受けます。聖霊による洗礼は、昇天されたイエス様に代わって、私たちを神様へとつなぎ合わせてくださる存在です。では、火の洗礼とはなんでしょうか。ルカ福音書には、脱穀の話し、箕という道具が示されています。古くから穀物が収穫され、穀物からもみ殻を取り除き、他の不純物などを取り除く作業が必要です。そのための道具が箕と呼ばれるもので、竹製の籠の様な道具です。不純物などをより分けて、不純物や殻を集めて火で焼くのです。つまり火のバプテスマは、不純物を取り除くこと、それを焼き捨てるためです。そして聖書の中で、火が意味するのは、神様の御言葉でもあります。ヤコブ書に舌は火であるとあり、黙示録には口から炎の剣が出ていたなどという表現がありますが、その様に口から出る言葉、それが火なのです。不純物を焼き払うのは、人間の言葉ではなく、神様の御言葉です。こうして、水による洗礼を受けた者は、聖霊と火の洗礼を受けるのです。つまり、聖霊により教え、導かれ、神様の御言葉によって清められ、正されて行くのです。

3)あなたはわたしの愛する子 
 私たちには、神様から来る助け、救いが必要です。私たちを命へと至らせてくださるのは、神様から来る救いです。そのために私たちは水による洗礼を受けました。聖霊が私たちを支えてくださいます。火である神様の御言葉が私たちを教え、養ってくださいます。私たちには、神様への祈りと信仰が必要です。神様は私たちに明日を与えてくださいます。私たちには時が必要です。忍耐が必要です。そして、神様は私たちに勝利を与えてくださいます。神様の愛から出る勝利、永遠の命を与えられる勝利があるのです。