2019年7月14日 朝礼拝 『途中で清くされた』大賀幸一牧師

ルツ記1:1-18、ルカ17:11-19

1)10人の男と出会う 
 ある村で、イエス様10人の男たちと出会うのです。男たちは重い皮膚病を患っています。聖書にはレプラとあり、これは間違いなくかつてらい病と呼ばれ、今日ではハンセン病と呼ばれる病気です。当時ハンセン病は治療方法がなく、悪化をすれば死に至る病気として恐れられていました。ハンセン病への恐怖から解放されたのは第2次世界大戦後の事です。日本でもハンセン病に対する恐怖は大きく、病気にかかったと判断されると強制的に隔離され、療養所へ送られました。治療などはほとんどなく、要は病気になったものを隔離するためだけでした。ハンセン病への恐怖は、病気に対する全くの無知によるものです。今日、元患者を意味なく隔離し続けてきた過ちは既に明らかにされていますが、その家族たちもまた苦しんで来たことへの謝罪と賠償が行われたことは、大変評価されることです。

2)戻った者、戻らなかった者 
 イエス様が今日ある村で出会った、重い皮膚病は、宗教的に汚れた状態とされ、神殿はもちろん人間社会の生活から隔離され、差別されて来たのです。10人の男たちが、イエス様から距離の離れた遠い所から声を張り上げているのはそういう理由です。これ以上イエス様に近づきたくても近づくことが許されないのです。イエス様は、男たちの叫びを聴き、それに応えて、彼らに必要な方法を的確に示されました。祭司に体を見せて、自分たちの病気が癒されたことを証明してもらいなさい、ということです。重い皮膚病のような病気の場合、病気が癒されたを証明するのは、祭司の働きでした。男たちは、イエス様に命じられた通り、祭司に病気の完治を証明してもらうために出かけて行ったのです。そして、その道の途中で彼らは自分たちが癒されたということを知ることとなります。イエス様が神様に執り成してくださったのでしょう。神様の癒しの御手が10人の男たちの病を癒してしまったのです。当然驚き、そして喜びが10人の男たちに起こったでしょう。さて、そこからです。9人はそのまま祭司の証明を求めて出かけて行きました。一人のサマリア人だけがイエス様のもとに引き換えし、感謝したと。間違いなくイエス様はこのサマリア人を評価し、あなたの信仰があなたと救ったと言われている通りです。9人はユダヤ人だったのだろうと想像しますが、イエス様が言われた通りエルサレムを目指して進んでいるのかもしれません。祭司はエルサレム神殿にいるからです。ただ彼らはイエス様のところに戻って来なかった。彼らが癒されたのは、イエス様の命令、イエス様の執り成しがあるからです。
私たちは、イエス様がいつも神様と私たちの間を執り成し、結び合わせてくださっていることの大事さを見失ってはなりません。私たちの命が結び合わせられることを妨げる様々な事柄から、例えば国や民族や政治や宗教や。そして病気。命が結び合わせられることを妨げているものは色々あります。イエス様が中心となって、神様と人間を、神様と人間社会を、人間通しを結び合せてくださるから、私たちは本来の命の豊かさを取り戻すことができるのです。神様から流れてくる豊かな愛が、素晴らしい御言葉が、私たちの命に本来の喜びと力強さを取り戻してくださるのです。神様から私たちに注がれている良いものが私たちの命を光り輝かせてくださいます。私たちは、この和解のために働いているのです。