2019年9月15日 朝礼拝 『あなたは報われる』大賀幸一牧師

箴言25:1-7a、ルカ14:7-14
1)末席に座れ
  イエス様の教えは、婚宴の席に招かれたなら、上座ではなく末席に座れ、ということです。それは神様の前に、隣人の前に高ぶることを戒め、へりくだった人であることを求めるからです。へりくだる、自分を低くするという言葉です。私たち神様を愛する者たちは、何度となく教えられて来ました。それだけ大切な教えなのです。そして、それだけ困難な事柄なのです。神様の前に自分自身を低くすることは何故大切なのでしょうか?逆に人間が高ぶる、高くすることでどんなことが起こるでしょうか?人間は神様を侮り、神様に聴くことも、神様に従うことも拒否するでしょう。神様など必要ない、関係ない、それが自分を高くする人間の姿です。今もほぼすべての人間の中にあるものです。私たちが神様の前に自分を低くすること、へりくだることの必要性は、神様から来るものをわたしたちが受けるためです。しかし、私たちの中にはどこにも神様から来るものが入る余地、留まる余地があるでしょう。既に私たちの中は自分たち自身のことで一杯一杯です。しかし、神様が与えてくださるものが私たちの中に入って留まるなら、私たちは自分たちの命の本当の素晴らしさを知るでしょう。何故なら、神様こそ私たちの命の源だからです。神様無くして私たちの命などあり得ないからです。全ての命は突然生まれたので無いように、私たちの命はつながりつながり続けて今日にあります。そして、その命を辿って行けば、必ず神様に辿り着くでしょう。神様を失って、私たちの命の価値はありません。神様を知ってこそ、私たちの命の尊さが見えて参ります。

2)身分の高い人が招かれている
 8節に、何故上座に座ってはならないか、という理由として、自分よりも身分の高い人が招かれているかもしれないから、とイエス様は教えています。身分の高い人とありますが、「聖書協会共同訳」では“名誉のある人”、と訳されています。身分の上下の問題ではなく、大いなる名誉のある人がおられるからです。それはもちろん神様が私たちのためにお遣わしになるキリストです。自分を高くしていると、名誉のある人を見失ってしまうからです。

3)あなたは報われる 
 12節からイエス様は、本当にあなたたちが報われるためになすべきは、自分たちの全てを神様に献げることだ、と教えておられます。見返りを求めず献げることをイエス様は勧めています。人間は実に身勝手で、自分中心な存在です。しかし、私たちが、いつも自分だけを見て、自分だけを大切し、自分だけを養っていては、遂に私たちは滅びてしまいます。神様は最初から、私たちが自分だけでは生きられない者として造られたのです。私たちが生きる道、私たちの命が保たれる道は自分だけを守ることではありません。大切な自分たちを献げることです。全部でなくごく僅かですが、私たちは自分たちを献げることで、生き続けることが出来ます。自分自身を奉げて、空っぽになった所に入って来る神様の愛と恵みこそが本当に私たちの命に必要な事柄だと人は知ることでしょう。私たちに必要なのは、神様の前に出来るだけ自らを低くして、神様の与えてくださる大切な一つ一つを迎え入れることなのです。