2020年7月19日 朝礼拝『死者の復活のことで』大賀幸一牧師

ミカ書7:18-19 使徒言行録24:10-21
パウロさんはカイサリアで裁判に立たされています。パウロさんの裁判は実は私たちの裁判でもあります。パウロさんは、私は騒動を起こしたことはありません。騒動ではなく、私たちは平和を願っているからです。パウロさんは、私は先祖の神様を礼拝し、神の律法と預言者たちをことごとく信じています、と言っています。パウロさんは、イエス様と出会って、これまでと違う神様を信じたのではありません。ずっと人間を愛し導いて来た神様を信じているのです。ただ私は確かに、ナザレのイエスの分派、と呼ばれる道に従っています、と。分派というぐらいですから、ユダヤ教とは違うところがあるのです。何が違うのか、私たちにはナザレのイエスがいる、ということです。パウロさんは最後に、正しい者も正しくない者も復活する希望を神に抱いています、と弁明しました。パウロさんは元々ファリサイ派でした。ファリサイ派は、神様の律法をちゃんと守って生きている正しい者だけが復活すると信じている人々でした。しかしパウロさんは、正しくない者もやがて復活すると言っています。正しくない者とは実はパウロさん自身のことです。イエス様を否定し、神の教会を迫害して回ったのがパウロさんです。パウロさん自身は、自分こそが神の国では一番下っ端だと自覚しています。でもそんなパウロさんが復活するのですから、誰もが復活するのです、と告白しているのです。またパウロさんは、死者の復活のことで、私は裁判を受けている、と。死者は復活します。死者は、死んだままではいないのです。神様が復活させてくださるのです。神様の与える新しい命を生きるものとさせてくださるのです。正しい者も正しくない者もやがて復活する希望を与えられています。これが、パウロさんも、私たちも信じていることです。神様を信じて、礼拝し、神様の与える希望に生きて参りましょう。