2020年9月13日 朝礼拝『その人のため神に願う』大賀幸一牧師

エレミヤ書28:8-9 ヨハネの手紙Ⅰ5:10-21

  神様ご自身が私たちに証言を与えてくださいました。もちろんそれは私たちが信じるようになるためです。ところが神様ご自身が証言しても人間はなかなか信じないのです。すると、神様を嘘つきだと言っているような人間のありようです。しかし、神様を嘘つきとしない多くの信じる人々がいます。私たちはこれからも信じる者でありましょう。神様の証言とは、神様は私たちに永遠の命を与えた、ということです。私たちに与えられた永遠の命とは、イエス・キリストの内にある命のことを示しています。イエス様と結ばれている人には、永遠の命があるのです。20節に、“神の子が来て、真実な方を知る力を与えてくださいました”とあります。つまり、神様御自身の証言とは、イエス・キリストを遣わすことなのです。イエス様が遣わされて、私たちの救い主キリストを知る力、理解力を与えたのです。神様は御心に適う願いを聞き入れてくださる、これが神様への私たちの確信です、と示されています。アブラハムの時代以来、信仰者たちは神の山に備えあり、を信じて来ました。神様は私たちの願い、祈りを聞き入れてくださる方だという信仰です。ただヨハネの手紙に、死に至らない罪を犯して兄弟のため神様に願いなさい、との勧めがあります。死に至らない罪については説明がありませんが、18節には、神様から生まれた者は罪を犯しませんとあり、矛盾しています。これは、私たちの命が、イエス様と結ばれているかどうかに関わっています。私たちがイエス様と結ばれていなければ、私たちは以前と同じように罪あるものなのです。イエス様と結ばれていることが何よりも大切なのです。しかし信仰者たちがイエス様と結ばれていない時もやっぱりあります。だからその人のために神様に願い、祈ってくださいと教えているのです。キリスト教の信仰は、共同体の信仰です。個人個人の信仰が否定されるのではありません。お一人お一人の信仰が共にあって共同体の信仰を作っています。それが教会です。血縁、民族、国家などを越えた神様を信じるという共同体が、教会なのです。イエス様に結ばれ、共に神様を信じ、祈って行きましょう。