2020年11月8日 朝礼拝『目を上げて眺める』大賀幸一牧師

創世記13:1-18 マタイによる福音書3:7-12
  創世記にアブラハムとロトの話があります。アブラハムたちは、神様を信じて新しい世界に足を踏み入れました。ここで別れがやって来ます。理由は、財産が増えたからです。アブラハムはロトに平和的な解決を求めて、それぞれ生きる場所を分けることを提案します。ロトは、目を上げて一帯の土地を眺めて、選びました。ロトが選んだのは、ソドムの町でした。ソドムは邪悪で、神様に背いた町だと記されています。ソドムの町は、外からやって来た人々、旅人や移住者たちに暴力をふるい、力で支配していたと言われています。天の神様が憎まれることです。ロトは一体何を見てソドムを選択したのでしょう。聖書はただ目を上げて眺めた、と記しているだけです。ロトの選択において、神様を求めたと、祈ったということも示されていません。ロトの選択は、自分で見て、選択したのです。普通はそれで良いでしょう。しかし結果はロトの選択は間違っていたのです。ロトの選択の何が間違っていたのか、自分の目で眺めるだけでは足らなかった、神様を求めるべきだったのでしょう。そしてアブラハムと別れるという選択を選ぶべきではなかったのです。神様が共におられるアブラハムと別れるべきではないのです。財産が邪魔ならば財産を捨てでもアブラハムと共に歩んで行くことがロトの道ではないでしょうか。ロトと別れた後のアブラハムのところに、神様は現れ、アブラハムを祝福されました。アブラハムの選択が神様によって正しいとされたのです。アブラハムは、人間が神様を信じて、神様の与える約束を信じてその人生を歩んで行けることを証明しました。人間は神様の御言葉を信じて、神様の約束を信じて生きて行くべきです。それが最も良い選択であるからです。