2020年11月22日 朝礼拝『私たちはいやされた』大賀幸一牧師

イザヤ書53:4-6 マタイによる福音書25:31-46

  イザヤ書53:5“彼の受けた懲らしめによって私たちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、私たちは癒された”彼の受けた懲らしめ、彼の受けた傷、それはどんな傷なのでしょう。少なくとも、それは私たち自身の目の前で行われることではありません。人間の持つ闇の世界で起こっていることがらです。なんと悲しいことが起こっていることでしょう。そしてもっと不思議なのは、彼の受けた傷が、私たちを癒した、とあることです。どうつながるのでしょうか?誰かが受けた怪我、傷、辛いことが、何故私たちの癒しになるのでしょう。それはただの傷ではないからです。私たちを守るための傷だからです。わたしたちを愛しているから受けた傷だからです。だから、私たちは守られ、癒されたのです。
  今日のマタイ福音書で、イエス様は、最も小さい者にしたことは、私のため、イエス様のため、神様にためにしたことだと教えています。ただしそれはいつどこでなすべきことかは教えられていません。私たちが気づかない時に起こります。一所懸命、頑張って小さい者を大切にしましょうということではありません。どんな時にも小さくされている者があります。どこかに小さな者があります。大切にいたしましょう。それは私たちのために小さな者。私たちを癒すために、私たちを守るために、小さなものとなっているのですから。