2021年1月10日 朝礼拝『私の愛する子』大賀幸一牧師

サムエル記上16:1-7 マタイによる福音書3:13-17
  イエス様は30歳の時、人々の前に突如現れました。イエス様が洗礼者ヨハネを訪ねたのは、イエス・キリストは、洗礼者ヨハネと共に歩むことになっていたからです。ヨハネは、神様がお遣わしになる預言者エリヤの再来です。そしてイエス様がやって来ました。ここにも、イエス様の方からヨハネに近づき、ヨハネと共に歩もうとしている神様の御業が記されています。ヨハネは本来私があなたのところに行くべきでしたのに、と言っていますが、イエス様は、これでいい、私たちには相応しいことだとおっしゃって、神様が私たちに近づいてくださることこそ、本来の神様の御業であることを明かししています。私たちから近づこうとすることではないのです。イエス様は、私たちがイエス様に従って水による洗礼を受けるようにと自ら洗礼を受けられました。すると天が開かれてイエス様向かって神の霊は鳩の形をして降って来たのです。そこに天の神様の声が響き渡ります。マタイ福音書では、これは、3人称でとあります。マルコやルカ福音書では、1人称なのです。神様がイエス様に語っているのです。しかしマタイ福音書では、もちろん神様が語っているのですが、これは、彼は私の愛する子だ、とおっしゃっています。誰に向って?そうです神様は、私たちに向かって語っておられるのです。神様が誰よりも愛するイエス様、信頼するイエス様を、私たちの世界に遣わされていることを神様は、私たちに向けて発信しておられるのです。あなたがたのために、この人がある。あなたたちと共にこの人が生きている。あなたがたのためにこの人が導いて道となり、あなたがたを養ってくださる。あなたがたが信頼すべきはこの人だ。この人を信じて歩みなさい。皆さん、イエス様と共に歩んで行きましょう。