2021年3月7日 朝礼拝『地上でつなぐことは天上でも』大賀牧師

ヨブ記1:1-12 マタイによる福音書16:13-28

  神様が関わらなければ、どんなに近くにいようとも人間はイエス様を本当に知る、理解するには至りません。イエス様自身が、あなたにこのことを示したのは、人間ではなく、私の天の父なのだ、と証言しておられる通りです。天の神様によって、人はイエス様を受け入れ、救い主として信じることができるのです。それは神様がおられるということの証明でもあるのです。私たちがイエス様を信じているなら、神様が私たちに働きかけられたことの証明でもあります。この後最初の受難予告がなされます。イエス様はご自分の行く道の先に十字架があることを知った上で、この道を進まれました。ペトロにイエス様は、天の国の鍵を授けました。その意味するところを聖書は、「地上でつなぐことは天上でもつながれる、地上で解くことは天上でも解かれる」と表しています。簡単に言えば、地上において禁じ、許可するなら、神様のおられる天においても禁じられ、あるいは許可されるということです。そんな大変大事な使命を、イエス様はペトロと弟子たちに、そして神の教会に与えられたと言われています。イエス様が赦したことを、私たちが禁じることは出来ません。イエス様の全てをもって私たち人間を愛してくださいました。私たち人間を永遠に赦してくださいました。イエス様が愛さない人間などはいないし、イエス様が赦さない人間もいないのです。その上でイエス様は私たちに、教会に、地上で解くなら、許すなら、天国でも解かれる、ことを求めています。イエス様は、自分の十字架を背負って、私に従って来なさい、と私たちに命じています。私たちも私たちが背負うべき十字架があります。私たちの十字架は既にイエス様が背負ってくださっていますが、それでも私たちが背負うべき私たちの十字架があります。私たちの大切な時間や献げものを献げましょう。コロナ禍の不安と迷い、病気との戦いの中にあって、私たちの心を思いを力を神様に献げましょう。不信と疑いを乗り越えて、神様と共に困難を乗り越えて行きましょう。