2021年7月4日 朝礼拝『自分の子に石を与えるか?』大賀幸一牧師

歴代誌下6:12-21 マタイによる福音書7:1-14

 

  今日のイエス様のみ言葉は、とても有名な御言葉ばかりです。人を裁くな、あなたがたも裁かれないようにするためである、との御言葉はいつも私たちの人生、生活の方向を糺してくださいます。裁く、という言葉はあまり日常生活では使われない言葉ですが、日常にない言葉ではありません。隣人を非難、批判、評価することは何かとあることです。自分の裁く基準としての秤、ものさしがあります。隣人を計るだけでなく、結果的に自分が自分自身を計られているのです。イエス様が人を裁くなと教える根本には、私たち自身が誰かを裁くのではなく、天の神様に任せなさい、と教えるからです。私たちが自分たちで裁きますと、実に不完全なものさしでしか計れないのです。私たちの秤では、人を傷つけてしまいますが、神様の秤は、人を生かしてくださるのです。イエス様は、天の神様に求めるものに、神様は必ず与えてくださる、と約束されています。その根拠は、あなたがたの天の父は求める者に良い物をくださるからです。私たち人間たちの世界でも、自分たちの大切にしたい者たちの願いや求めには応えてあげたいものです。ならば、天の神様は私たちの願い、求めること、祈りに応えてあげたいとして、良い物を与えてくださるのです。神様は、パンを求めるのに石を与えません。魚を求めるのに蛇を与えません。イエス様は、命に通じる門は狭く、逆に滅びにいたる門は広いとおっしゃっています。しかし、命に至る門がないとおっしゃっているのではなく、狭くて、見つけにくいけど、そこから命に入りなさい、と教えておられます。その理由は、私たち人間たちは、神様を信じられないからです。自分の秤とものさしで自分自身を計り、誰も救われないのではなく、神様の御手を信じて、神様のものさしにまかせてみましょう。神様の裁きに委ねてみましょう。そこに命に通じる道が開けるのです。