2021年8月15日 朝礼拝『ここに私の家族がある』大賀幸一牧師

創世記24:62-67 マタイによる福音書12:43-50

  今日のイエス様の御言葉は、汚れた霊のお話です。現代でも人間たちは汚れた霊に支配されています。隣人を侮辱し、蔑もうとする思いは実に激しく強いものがあります。お話では、何故か汚れた霊は出て行き、砂漠、水のない所を彷徨うのです。しかし留まるところがないので元のわが家に戻ろうとします。戻ってみると、わが家はきれいに掃除されているのです。ならば汚れた霊は、その人間をいっそう支配し、束縛し、傷つけるものとなります。汚れた霊というものに影響を受けるのは誰か特別な人のことではなく、誰にでもあり得ることです。問題は一時的に解放されたのに再び戻って来て、いっそう束縛、支配されていることです。それは何故かというと、空き家だからです。きれいに掃除はしても空き家であるから、やすやすと汚れた霊は再び人間を支配してしまいます。なぜ隣人や自分を汚すようなものを自分たちの中に住まわせるのでしょう。私たちは、自分たちの中に住んで、私たちを赦し、私たちを愛し、私たちを導いてくださる方を迎えるべきなのです。空き家のまま、これが一番悪いことです。母マリアさん、弟ヤコブや兄弟たちが突然訪ねて来ました。その理由は、イエス様がおかしくなったのではないかとのうわさを聞いて、驚いてイエス様を家に連れ戻そうとしてのことです。イエス様を理解できる人がいるとするなら、イエス様の家族です。そして母マリアさん以外考えられません。そのマリアさんたちもイエス様を理解してくださらない時、イエス様は本当に寂しい思いをなさったのではないでしょうか。イエス様は、弟子たちやイエス様から御言葉を聴くために集まった人々の方を指して、ここに私の母、私の兄弟姉妹、私の家族がいるとおっしゃいました。イエス様は私たちをも含めて、私の家族としてくださっているのです。神様が与えてくださる恵みで満たして、災いを乗り越え、平和を求めて進んで行きましょう。