2022年9月18日 朝礼拝『人は喜んで耳を傾けた』大賀幸一牧師

列王記上21:7-16 マルコによる福音書12:35-44

  イエス様は、救い主、メシア、キリストは、ダビデ王家に到来するという伝説を破壊しました。メシアとは油注がれた者、王様のことです。メシアとは、ユダヤに到来する真の王様であると思われるようになって行きました。ダビデ王は、詩編110編では、メシアを“主”と呼んで崇めています。ダビデ王の子孫からメシアが誕生するというのは間違いであるとイエス様は教えられたのです。人間たちがいつの間にか勝手に作り上げてしまったことが、さも真実であるかのようにしてしまう愚かさを暴いています。エルサレムの神殿には賽銭箱、献金箱が用意されていました。13個の入り口がラッパの形をした献金箱で、神殿税のため、神殿修理のためなどに献金箱が用意されていて、女性の庭のどこかに置かれていそうです。  人々が献金する姿を見つめていたイエス様は、一人のやもめに目を留めました。彼女が献げたのは、2レプトン、ユダヤの人々の使う一番小さな貨幣2枚でした。日本で言うと1円玉2枚ということでしょうか。イエス様はこの女性が誰よりも最も多く献げたとおっしゃいました。弟子たちを呼び集めてそのことを伝えたのです。イエス様は一体何を弟子たちに、私たちに伝えようとされたのでしょうか?私たちは、やもめの献金をイエス様はちゃんと見ていてくださっていることに注目します。生活費すべてを献げるやもめの献金を人間たちの誰が知っているでしょう。しかしイエス様はご存じです。神様もご存じです。どんなに小さな献金であってもそれを神様はご存じなのです。私たちの信仰は、私たちの独りよがりではありません。神様だけがいつも一生懸命働いているのでもありません。わたしたちも人間に見てもらうためではなく、神様への心からの感謝を献げたいと感じています。それは、イエス様がちゃんと私たちを見ていてくださっているからです。この確かな神様とのつながりが、私たちの信仰なのです。イエス様が私たちを見ていてくださいます。今日からも神様を信じて歩みましょう。