2022年10月30日 朝礼拝『共にいるすべての生き物』大賀幸一牧師

創世記9:8-17 ルカによる福音書11:33-41

ノアの箱舟の物語を通して、箱舟の扉を最後に閉じられたのは、ノアではなく神様でした。箱舟の扉が閉じられたということは、古き世界の終わりを表しています。しかし箱舟の扉を閉じたのは神様、人間たちが想像した以上のことが箱舟の扉が閉じられることに込められているのではないでしょうか。事実、神様は世界を終わらせたのではなく、世界を新しくされたのです。命を絶命させたのではなく、命が受け継がれることを与えました。古い世界の災いが新しい世界に入り込むことを退け、神様と共にノアたちは新し世界に歩み出し、ノアたちを通して世界は再び始められるのです。ノアの時代に大洪水が起こったその原因は、大地には人間の暴虐が満ちていたからだと表現されています。そして全ての肉なる者、命ある者の滅亡が近づいている、とされています。つまり人間の暴虐のために世界は滅亡に瀕していたのです。命は受け継がれて行くのです。全く別の新しい命が創造されるのではありません。新しい世界に入るように定められていたのは、ノアたちだけではありません。神様は、最後まで扉を開いて待っていたのです。神様を信じて、神様のもとにやって来る命を、神様は探しておられました。しかし、古い世界が終わることを誰も信じようとはしなかったのです。神様は新しい世界に受け継がれた命との間に契約を結びました。この契約の徴が、虹だと示されています。今日、虹は、様々な少数者も含めて、色々な人々が生きている世界を表す徴が、この虹となっています。虹にそんな意味と力があるだろうかと疑うことは出来ます。しかし聖書にはこう書かれています。私の虹を置く、と。つまり、虹を置かれるのは、偶然でも、自然現象でもなく、神様という一つの人格、大きな愛が、その意思をもって、私の虹を置かれるのです。この虹が現れる時、世界は、神様と大地にある生き物たちとの間に永遠の契約が結ばれていることを思い出すのです。この世界は神様によって守られますが、神様共に歩む者がいつも必要なのです。神様は箱舟を造りませんでした。箱舟を造ったのは、神様を信じて歩んだ者たちです。