2022年11月27日 朝礼拝『居場所を求めて』木村良己牧師

ルカによる福音書2:1-12 

東京、行人坂教会の幼稚園に通っていた時、聖誕劇をしました。年少組は羊の役です。年長組になって、ヨセフや博士をやりたかったのですが、友達に取られ、羊飼いになりました。アドヴェントが近づくといつもこのことが頭をよぎります。ルカ福音書から2つのクリスマスへ向かう話をします。7節に、「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」。強大なローマ帝国の住民登録。住んでいる一人一人を残らず把握し、税金を取り立てるため。成人男子を戦争に駆り出すため。徴兵と徴税のためです。それで生まれ故郷へ行くことに。故郷ですから、親戚が誰か泊めてくれればよいのですが、訳ありの夫婦ですから、難しかったようです。挙げ句の果てに、家畜小屋。そんな中で嬰児が生まれます。もう一つ、12節、「あなたがたは布にくるまって飼い葉桶に寝かされている乳飲み子を見る」。真っ先にこの知らせを受けたのが、野宿をしている羊飼いたち。羊飼いは動物づれで匂いがあり、住所不定。あまり良い職業とは思われていません。クラッパードインのお話。宣教団アメリカンボード。その持ち物の一つがクラッパードイン。そこで始めたバザールカフェは、隠れ家的なカフェ。働くことが困難な在日外国人の就労場。ありのままでくつろげる居場所となるように。居場所とは、何かをしてもいいし、何もしなくてもいい。ルカが伝える最初のクリスマス。居心地の悪い、人生の旅先でたどり着いた、あの家畜小屋。バザールカフェもそういう居場所であって欲しいと思っています。クリスマスの中心は、赤ちゃん。生まれた時から、なぜかみんな楽しくなる。喧嘩していてもみんなが幸せになる。自分たちの仕事を後回しにしても赤ちゃんのことが第1になる。私たちも皆赤ちゃんだった。私は倒れて入院しました。まるで赤ちゃんのよう。何にもできない。病院にいる時、いるだけで良い世界を改めて知った。訳ありの夫婦が、強大な国家か権力移動させられ、家畜小屋へ。そこへ辿り着いた羊飼いたち。毎年クリスマスを迎えるわけですが、居場所がなく、居心地が悪かった中に赤ちゃんイエスちゃんを産み落としてくださった。私の泊まる場所がありますかと、問われています。何かをなさなければならない現実の中で、居心地の良い場所へと導かれ、イエスと出会う場所です。