2023年3月12日 朝礼拝『排斥され、殺され、復活する』大賀幸一牧師

イザヤ書63:7-14 ルカによる福音書9:18-27

  今日のルカ福音書は、第1回受難予告です。イエス様は、ご自分の十字架、そして死を、あらかじめ弟子たちに予告していました。イエス様は、ユダヤの長老、祭司長、律法学者たちから排斥される、つまり捨てられる。そして殺される、とおっしゃっています。さらに3日後に復活する、と。なぜそんなことをなさったのでしょう。止まっている弟子たちの止まっていた時計を進めるためです。イエス様が死んでいなくなっても、イエス様は弟子たちと共におられることを後に弟子たちが気づくためです。イエス様の十字架と復活は、神様もイエス様もすべてご存じの上で始めたことです。私たちをイエス様と一緒に歩み、一緒に死に、一緒に生きる者と定めてくださったからです。定めたからと言って、神様は私たちの人生を支配しよう、強勢的に従わせようといているのではありません。神様はいつも私たちに自由を与えています。世界の始まりからずっと神様は、私たちに自由を与え、支配も強要もありません。神様は人間が愛されて、納得して、理解して、神様を受け入れて生きて行くことを求めているのです。イエス様は受難予告をしましたが、イエス様の受難を止めろと言いません。ルカ福音書には、ペトロが止めようとして逆に叱られるという有名な個所がありません。イエス様の十字架と復活を、私たちは止めることはできないのです。イエス様が私たちに求めるのは、日々自分たちの十字架を担って、イエス様と共に歩むことです。私たちの命はすでにイエス様によって、イエス様の十字架によって背負われていることは間違いありません。エス様が語ってくださった御言葉を聴いて、生きることです。私たちは、これからも日々自分たちの十字架を背負い、イエス様の御言葉を聴いて力を与えられ、生きて行きます。