2023年5月14日 朝礼拝『わが家にお迎えできるような者では』大賀幸一牧師

ダニエル書6:14-23 ルカによる福音書7:1-10

  イエス様たちはこぞって百人隊長の家へと向かうのですが、百人隊長はイエス様たちが家に入ることを拒否しました。ふさわしくないから、という理由です。ユダヤ人たちは、伝統的な保守派な人であれば、外国人と交際することを嫌います。宗教的に穢れることを忌み嫌うからです。それをよくよく知っている百人隊長は、自分からイエス様たちを家に迎えるのはふさわしくないと告白しています。その前の6節には、自分の屋根の下、家にお迎えできるような者ではない、資格がない、とも言っています。それでは、イエス様はどうお考えでしょうか。イエス様は百人隊長を絶賛しています。これほどの信仰を見たことがない、とおっしゃっています。百人隊長は、きっと神様を信じていたのですが、自分はふさわしくない、資格がない、と言います。ユダヤ人長老たちが言っています。彼はふさわしい人です。百人隊長がこれまでしてきたことを見てもそうです。しかし百人隊長自身は、ふさわしくない、と考えるのです。その理由は分かりません。百人隊長は奴隷の命のために、イエス様の言葉を求めます。直接会って、助けを願うこともできない、資格のない人間ですが、ただあなたのお言葉をください。私の大切な奴隷を癒す、とあなたのお言葉をください。イエス様の言葉は、ふさわしくない者にも与えられます。直接会うことのできない者にも、その扉を超えて届きます。すべての壁を越えて響きます。イエス様の言葉は、私たちに命を与えてくださいます。私たちに救いを与えてくださいます。私たちに赦しを与えてくださいます。百人隊長の大事な奴隷は、癒され、元気になっていました。ふさわしくないと言っていた百人隊長ですが、イエス様は、すべてを赦し、すべてを愛し、すべてを生かしてくださっています。私たちのイエス様の御言葉を聴いて、生きるもの、生かされる者であり続けましょう。