2023年7月16日 朝礼拝『信仰によって家族になった人々に』大賀幸一牧師

サムエル記上24:8-16 ガラテヤの信徒への手紙6:1-10

“割礼の有無は問題ではなく、愛によって働く信仰こそが大事なのです”“人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、ただイエス・キリストの真実によるのだということを知って、私たちもキリスト・イエスを信じました”など、パウロは、ガラテヤの人々が救われるために必要なことは、ユダヤ人になろうとすることではなく、イエス・キリストをただ信じることにあると示しました。神様が遣わされた神の子イエス様によって示された真実こそが私たちの救いの源だと教えたのです。神様がイエス様を通して示された神様の愛を信じることです。イエス様を通して神様がなさってくださったことを信じることが、私たちの救いです。これは未来永劫変りません。しかしガラテヤの人々はこれを信じられなかったのです。本当に神様がそこまで私たちを愛してくださることを信じられないからです。ユダヤ人たちが長い年月神様と共に歩み築き上げてきた歴史と伝道のような確かなものがガラテヤの人々にはなかったからです。あるのは、ただ神様の愛だけだからです。ガラテヤの人々は、何が正しいのか迷った時、判断の基準にしたのは、自分たちの中に神様が愛してくださる何かを探そうとしたことです。私たちの中を探してもそれは見つからない。何故なら私たちの救いは、命は、神様と共にあるからです。私たちは、霊によって歩みましょう。私たちは霊の人なのですから、と示されています。イエス様を信じる人々は皆聖霊を受けました。聖霊が私たちを導いてくださったことが、私たちに信仰を与えてくださいました。人間は、神様の霊を体に受けて生きる者です。神様の霊が私たちの中に生きているのです。その神様の霊が私たちを教え、私たちを導くでしょう。これからも私たちは色々と判断しなければならない時が来ます。自分の中にあるものを基準とするのか、神様が与え、示してくださったことを基準とするのか、どちらであるべきでしょう。