2024年1月28日 朝礼拝『私が行くところに』大賀幸一牧師

ヨブ記 22章11-28節 ヨハネによる福音書 8章21-36節

  イエス様は言われました。あなたたちは私の所に来ることが出来ない、と。何故かというと、イエス様は天から来られ、人間は天からではなく、この世に属しているからです。人間はこの世から生れ、死んで行きます。天にある神様と関りを持たない人間の命はこのようにこの世で死に絶え、消えてしまうのです。この世に生まれた人間は、決して天に昇ることはありません。イエス様はこの人間の姿を、あなたたちは自分たちの罪のうちに死ぬことになる、と説明されました。また、あなたがたは私がある、ということを信じないならば、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる、ともお話になりました。イエス様は別な可能性を示してくださったのです。それが、私はある、ことを信じることなのです。28節、あなたたちは、人の子を上げた時に初めて、私はあるということが分かる、とイエス様は教えられたのです。人の子を上げる、とはもちろんイエス様の十字架のことです。その時初めて、初めて人間は、私はある、ということを知るだろうとおしゃっているのです。たとえば、イエス様の弟子たち、誰もが私たちはイエス様を信じます、離れませんと言い放ちました。その口の乾かない間に、誰もがイエス様を見捨てました。人の子が上げられる時とは、いったいいつのことでしょう。それは私たちが信じます、従いますと言っている時ではありません。私たちが失望する時、逃げ出す時、見失う時、神様を信じられない時。神様をののしる時。そういう時が、人の子が上げられる時ではありませんか。その時人間は、私はある、を知ることが出来るのです。イエス様は、私の言葉に留まるならば、あなたがたは本当に私の弟子あるとも教えておられます。私たちは御言葉に留まることが出来るでしょうか?ただ、私たちは人の子を上げる、その時に知ることになるイエス様があること、私たちと共にあること。このことを知らされて、ただすべてを神様に委ねて行きましょう。